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タイ編

2019.06号 タイ特別編(3)

·2046 文字·5 分
皆様こんにちは、株式会社コアブリッジの柳です。 今回も、タイの特別編をお届けします。 5月初旬に行われた新国王戴冠の一連の儀式の後、3月末に実施された総選挙の結果がようやく発表され、6月に入ってから首相指名も行われました。5年間続いた軍政から、選挙後の民政に形としては移行したのです。

2019.06号 タイ特別編(2)

·2074 文字·5 分
皆様こんにちは、株式会社コアブリッジの柳です。 前回に引き続き、タイの特別編をお届けします。 この5月には、69年ぶりとなる新国王の戴冠式が行われ、一連の儀式が終わった後に、3月末の総選挙の結果が発表されています。 今号では、新国王の戴冠式について書いていきます。

2019.04号 タイ特別編(1)

·2717 文字·6 分
皆様こんにちは、株式会社コアブリッジの柳です。 今号は特別編として、3月24日(日)に総選挙が行われたタイについてお伝えします。 2014年のクーデーター以来何度も先延ばしされてきた総選挙の実施は、2011年以来実に8年ぶり(*1)です。

2017.11号 タイ番外編

·2842 文字·6 分
皆様こんにちは、株式会社コアブリッジの柳です。 今回はタイ番外編をお送りします。 昨年2016年10月13日にプーミポン前国王(ラーマ9世)が死去した際に、現地の様子を番外編としてお届けしました。 それから一年が経ち、先月10月に国を挙げての大規模な葬儀が行われ、国民が偉大な前国王に最後のお別れをし、喪が明けました。 今回はその様子を記していきます。

国王逝去後のタイ国の様子(3)

·605 文字·2 分
2016年12月後半のタイ(バンコク)の様子です。 プーミポン前国王のご逝去から三ヶ月経ち、新国王が即位し、元の状況にだいぶ戻ってきています。 街中クリスマスと新年の装飾がなされ、皆はしゃいで写真撮影しています。音楽も復活し、繁華街も華やかさを取り戻しました。 服装も黒以外のものがかなり増えましたが、黒いリボンを着用している人はまだそれなりに多いです。さすがに蛍光色やパステル調のシャツを着ている人は見かけませんが、宿泊先のレストランのスタッフはオレンジ色のユニホームを着ていました。 ちなみに、平時のタイで鮮やかな色の服が多いのは、タイでは曜日ごとに色が決められていて、誕生日やその日の曜日の色に合わせて服を選ぶ人が多いためです。 曜日の色は以下の通りです。

2016.11.21 国王逝去後のタイ国の様子(2)

·679 文字·2 分
国王崩御一ヶ月後のタイ(バンコク)の様子です。 国民に求められていた一ヶ月の服喪期間が過ぎ、自粛ムードもだいぶやわらいできました。 宣伝広告や音楽が復活し、服装も黒以外のものが増え、少しずつですが平時の状態に戻りつつあります。ただし、音楽などの音量はまだ遠慮気味です。 喪服や弔意を表す"黒いリボン"も、着用が長期に渡るとファッション化され、様々なデザインのものが出回っています。 すれ違いざまについ興味を持って見てしまうのが「どんなリボンをしているのか」です。 とても小さな"蝶結び"のもの、リボンの交差部分にワンポイント入ったもの、リボンが描かれたバッチ、(黒服用に)リボンの形状をした白色や銀色のブローチなど、多種多様です。 プーミポン国王がラーマ9世にあたることから、タイ文字の9(象が横を向いているような形の文字)を象ったブローチや、タイ文字の9を印刷したTシャツも売られ、よく見かけます。

2016.10.27 国王逝去後のタイ国の様子(1)

·1174 文字·3 分
タイ全国民から絶大な信頼と尊敬を集めていたプーミポン・アドゥラヤデー国王が今月10月13日に逝去されました。 日本でも多くの報道がなされ、タイ国中が深い悲しみに沈んでいることはご承知のことでしょう。 我々日本人からは想像が難しいくらい国民から敬愛されていて、それだけに同国を訪れる際に気を遣うし、実際にそうすべきです。 ちょうどその一週間後にタイ渡航の機会があったため、実際にどのような様子であったかご紹介します。 タイでは一年間服喪の期間となるため、これから渡航する方の参考になれば幸いです。

2015.07号 タイ編(3)

·2853 文字·6 分
皆様こんにちは、株式会社コアブリッジの柳です。 今号では引き続きタイの歴史をお届けします。 タイはどのように独立を維持し絶対王制から立憲君主制に移行していったのか、現王朝で近代化を経て現在に至るまでを、例によって思いっきり要約して記します。 脅威はビルマから英仏へ 前回記したように、タイ(当時はシャム)にとっての脅威は隣国ビルマ(現ミャンマー)でした。 しかし、現王朝に移行してしばらく経つと様子が変わります。 19世紀には、三度の英緬戦争(イギリス-ビルマ戦争)を経てビルマはイギリス領となり、ベトナムはフランス領となります。 イギリスはマレー半島の南側も支配下に置いています。 中国(清)は、イギリスには阿片戦争で、フランスには仏清戦争で敗北します。 タイの周辺国はすべて英仏二国により武力で征服されてしまったわけです。 タイも大きな圧力を受け、フランスにいたっては軍艦を首都バンコクに乗り入れてきます(1893年パークナーム事件)。 この未曾有の危機を、タイは領土を割譲することで乗り切ります。 タイの属国であったラオスとカンボジアをフランスに、マレー半島北部の4つの州をイギリスに移譲します。 この時譲り渡したのは、タイの領土の実に半分におよび、文字通り身を切ることで独立を維持したのです。